“音のない山”から湧き水が流れ、漁師の人生へ。
武徹太郎が読み解く「神津島の物語」と、未来へ漕ぎ出す歌
“音のない山”から湧き水が流れ、
漁師の人生へ。武徹太郎が読み解く
「神津島の物語」と、未来へ漕ぎ出す歌
東京・竹芝から高速船で約3時間、調布からの飛行機で約45分。神津島は、都心からアクセスしやすい距離にもかかわらず、豊かな自然と独自の文化が色濃く残る島です。国際的な星空保護区にも認定され、太古から火山性の天然ガラス「黒曜石」が採掘されてきた、神秘に満ちた土地でもあります。
そんな神津島の魅力を「音」で発信するプロジェクトが始まり、かつて島で“独自のお祭り”を立ち上げた武徹太郎さんが、「神津島の音」を用いたオリジナル楽曲を制作しました。
民族学的な視点で地域を読み解き、その魅力を音楽や美術を通して再発信してきた武さん。神津島を巡る中で出会った「音のない山」、そして大漁祈願の行事「みかんまき」。そこから浮かび上がったのは、受け継がれ、循環していく「神津島の生態系」の物語でした。楽曲がどのように生まれたのか、その制作背景を伺います。
武徹太郎
「馬喰町バンド」のリーダーとして各地の伝統芸能、民俗音楽をフィールドワークしながら、独自の楽曲、楽器を製作して発表している。Eテレの子供向け創造番組“シャキーン”にて「まつりばなし」「こんな民話があるんだよ」「イキモノノウタ」等の音楽、アニメーションコーナー、さいたま芸術劇場のカンパニーグランデの講師を担当。音の鳴るキャンバス、紙芝居と音楽を組み合わせたパフォーマンスや子供たちとの音楽WS、壁画制作やライブペインティング、お祭りプロジェクトなども各地で開催中。
ジャズから伝統芸能への興味へ。
“総合芸術”のお祭りを神津島で制作
武さんは、ミュージシャンでありながら、パフォーマンスや「お祭りプロジェクト」など、美術文脈の活動もされています。音楽においても伝統芸能や民俗音楽という視点で作品制作をされていますが、こういった分野への興味はどんなきっかけで持たれたんですか?
きっかけとしては、油絵科で入った美術大学でジャズ研に入ってからですね。もともと父親がブルースミュージシャンで、その影響もあってずっと音楽をやっていました。
ちょうど当時、ジャズの中でもワールドミュージックのように、自身のルーツとなる伝統音楽を融合させたようなジャズがたくさん出てきた頃で。ジャズという国際的なフォーマットを通してルーツを発表していることが、おもしろいなと思ったんです。
美大での経験も、今の活動につながっていますか?
そうですね。美術の分野でも、民藝やアフリカの工芸品などの伝統芸術に興味を持って取り組んでいました。
でも僕としては、音楽とアートを分けてやっているわけではなく、ひとつのことやってるつもりでしたね。お祭りや伝統芸能が好きなのも、単純におもしろいというのもあるけど、何にいちばん興味があるかと言われると、最初にそれが立ち上がってきたときのエネルギーや好奇心みたいなところなんですよね。類人猿だった人類が、何もないところからどうやってそれを作ったのかというか。
お祭りって、総合芸術だと思うんです。歌も踊りもやるし、楽器も演奏するし、衣装も飾りも自分たちで作る。もちろん総合芸術と思ってやっているわけじゃないんですけど、結果的にそうなってることがすごく多くて。これは自分が求めてたものに近いなと思って、お祭りの魅力に引き込まれていきました。
そうした流れもあって、神津島でもお祭りを作られたんですね。
はい。そのときは“くると”というアートスペースに1週間ぐらい滞在して、毎日作業したり、いろんな人と会って話したりしました。あと僕は釣りが好きなので、終わってからも数日滞在して釣りをしていました(笑)。
だから今回のお話が来た時は、「また神津島に行ける!」と素直にうれしく思いました。
天上山で出会った「音のない世界」。
美しい夕景に重ねた、水と命の循環
「島の音」を用いた楽曲制作というお題に対して、どのように制作プランを考えていきましたか?
渡航する時期が、観光シーズンの夏ではなく秋から冬にかけてだったので、どんな音があるのか分からなくて。だから、とりあえず行ってみて、島を巡りながら決めようと思っていました。
ただ、湧き水だけは録ろうと決めていました。神津島には「水配り伝説」という神話が残されていて。天上山にある“つづき湧水”と、船着場の近くにある“多幸湧水”を軸に、巡る場所を決めていきました。
今回、渡航を2回されたと聞きました。まずは1回目、11月末に訪れたそうですが、どのような旅になりましたか?
もう、本当に天気に恵まれて素晴らしかったです。天上山に登った日は、ちょうど風もほとんどない凪の日でした。
山頂近くに、“表砂漠”という白い砂の場所があって。そこで経験した「音のない世界」が、すごかったんです。風の音も、車の排気音も、少し離れて歩く他の登山客の足音も、何も聞こえない。もう「この世じゃないんじゃない?」と思うくらい静かで。
その後も、下山のタイミングがちょうど夕暮れだったので、カメラを回しながら、ぼーっと地平線に沈む太陽を見ていました。その美しい景色にも感動して、「絶対この体験を歌にしよう」と思いましたね。歌のイメージもすぐに湧いてきました。
どんなイメージが湧いてきたのでしょうか?
なんとなく、神津島が俯瞰して見ているような感覚がありました。
音のない天上山に染み込んだ雨水が、やがて湧き水となって麓に流れていき、その水が人間の生活をつくっている。水は、昔はライフラインとしていちばん大切なものだったと思うんですけど、今もみんなの生活を豊かにしている。
ゲストハウスを営んでいる友達や、漁師の友達に話を聞いても、みんな神津島のコミュニティの中で、すごく楽しそうに生活していて。だから、山があって、水があって、人間が生きていて、人生がある。そういう循環そのものを、歌にしようと決めました。
賑わう正月行事「みかんまき」。
漁師の人生に見る、ものづくりの本質
2回目の渡航は、どのような目的で行ったのでしょうか?
最初の渡航で集めた音や撮影した映像は、海や路地、岩、山、夕陽など、あまり動きのない風景が中心でした。だから今度は、動きのある生き物というか、人間の営みも撮影したいなと思いまして。
ちょうど“くると”の友人から、年明けの1月2日に「みかんまき」という行事があると聞いたんです。島では「やしやし」と呼ばれているそうで、漁師さんたちが1年間の大漁を祈願して、大漁旗を掲げ、みかんやお菓子、お金を撒くんです。この行事をぜひ収録したいと思い、2回目の渡航を決めました。
「みかんまき」は、どんな雰囲気でしたか?
ものすごく盛り上がっていましたね。島中の人が子どもから大人まで集まっていて、漁師さんが次々にみかんを撒いていて。「やっぱり漁師さんたちが島の経済を支えているんだな」とも思いました。
滞在中は漁師の友人とも過ごしていたので、漁師の生活についてもいろいろと話を聞きました。島に住んで、船を買って、海に出て、漁をして生きていく。島に戻れば飲みに行くし、若い世代も漁師という仕事があるからこそ、この島で生きていける。そうやって島の経済が成り立っているんですよね。
まさに伝統というか、脈々と繋がってきたものを感じました。漁は島のカルチャーそのものだし、海があるから生きていける。
ここで、さっきの「天上山の雨水が、湧き水となって人の命とつながる」という物語が、島のカルチャーである漁師の生活にまでつながったんです。山に降った水が海へ流れ、その海に船で漁に出て、魚を捕って戻ってくる。その循環によって島の経済が回っている。神津島の生態系が、一筆書きのようにつながってるような印象を受けました。
漁師さんの話で、印象的だったエピソードはありますか?
友人のお父さんについての話が心に残ってます。もともと友人は一度島から出て仕事をしていたそうですが、神津島に戻って何か独立しようと思ったそうです。そのとき、漁師だった父親が、「お前が漁師になるんだったら大きな船を買おう」と借金をして、二人で一緒に漁をするようになって。
そのお父さんはとても漁が上手で、海のコンディションから魚が捕れる場所を見極めるノウハウがすごかったそうです。少しずつ技術を学びながら、事業として軌道に乗せていったんだと。
ただ、最近その父親が亡くなってしまったそうで。悲しみを抱えたまま、「まだ父親の域には達してないんだけど」と未熟さを感じながらも、今は自分が親方になって、次の若い世代を雇って一緒に漁をしている。
この感覚が、すごくものづくりの本質に近いなと思ったんです。
ものづくりの本質?
音楽をやっていても、何かものづくりをしていても、自分の技術や経験がまだ十分に整ってないのに、判断をしなければならない場面って多いんですよね。それがいいか悪いか分からないままでも、方向性を決めたり、「ここで完成だ」と決断しなきゃいけない。
だから友人の話にすごく共感したんです。これはお祭りや伝統文化も同じで。名人や達人が下の世代に完璧に伝えて残るというよりは、みんな未熟な状態のまま、自分の番が来たから受け継いでいっているんじゃないかと思っていて。
たしかに、何事も完璧な準備が整って事が始まることばかりではないですよね。
民族音楽や民謡にしても、先人が歌った歌い方をそっくりそのまま再現しているわけじゃなくて、その時代ごとに、新しく名人になる人は自分なりの歌い方を作るんですよね。すると、その人の歌い方が次の主流になって、みんなが真似するようになる。
だから伝統というものも、同じものを写し取って再現することだけが受け継ぐというではなくて。自分の感受性で判断したり、新しいものを発見したりすることで、伝統として続いていくと再認識しましたね。
「神津島の音」や方言を楽曲へ。
明るい未来へと漕ぎゆく歌
2回の渡航を経て生まれた楽曲『音のない山』について教えてください。制作はどのような流れで進んでいったのでしょうか?
湧き水の音から作ろうと思っていたので、まずは録音した湧き水の音を丁寧に精査しました。そこから自然と曲のキーやテンポ感が決まり、そのままイントロになっています。
楽曲全体としては、天上山で感じた「音のない世界」の感覚から始まり、神津島で暮らす友人たちの人生へとつながっていくようなイメージで構成しました。風や波の音、「みかんまき」の音を重ねていくうちに骨格が見えてきて、そこに合う音を楽器で加えていきました。
「みかんまき」の音は、ときどき聞こえる「やぁし!」という声でしょうか?
そうそう。「やし!やし!やし!やし!」という掛け声でみかんを撒くんです。その声を切り取って、ビートのように使っています。
楽器は、馬喰町バンドで使われているような自作の楽器も使われていますか?
打楽器はすべて自作の太鼓の音ですね。作曲段階ではギターも使っていましたが、最終的にはほとんど使っていません。ほかはシンセサイザーで作った音やベースラインを重ね、三味線も少しだけ弾いています。
後半にかけてメロディが明るくなっていきますね。
そこは意図したところですね。前半は天上山と湧き水という自然の世界を描いていて、「音のない世界を音にする」という倒錯した創作のおもしろさがありました。
後半、サビのように感じられる部分は、友人たちや島に暮らす人間の世界へと移っていきます。少し賑やかになるイメージで作りました。
歌詞に出てくる「トベラの葉」は、神津島にある植物ですか?
神津島では、正月の14日間を「花正月」といって、路地の一角にある小さな祠にトベラの葉を祀る風習があります。火にくべると「パチパチ」と音を立て、その煙が厄除けになるとされているんです。
ただ、あるとき役所の人がその風習を知らず、もともと神社にあったトベラを切ってしまったそうで。「法曹神様と花正月」という立て札は残ってるのに、境内にはもうトベラはないんですよね。
まさに、お役所仕事の象徴のような出来事で(笑)。でも、こうしたことが全国で起こって、神話や神様、お祭りが少しずつ消えていくのかもしれないと思いました。
「おいだら」や「にぃしい」という言葉は、神津島の方言ですか?
そうですね。「おいだら」は「わたしたち」という意味です。「あいたいや」は「会いたい」ではなく、「おっとっと」みたいな、驚いたときの感嘆詞だそうです。
「にぃしい」は「新しい」という意味ですね。ここの「にぃしいひとひら花びらが夜明け生まれ変わる」という一節は、"おたあ・ジュリアの墓"の前を通ってできた歌詞で。
夜に歩いてると、墓前に添えられた花びらがひらひらと舞っていて、とても綺麗で。その光景を歌にしたいと思って取り入れました。
終盤は「生まれ変わる」「潜り抜けて行こう」など、未来に向かうような言葉が印象的です。
漁師の友人から聞いた話の中で、とりわけ印象的だった言葉があって。「お父さんね、今も死んでないと思ってるんだよね」と言っていたんです。
小さな島で生命が循環していく。その中で人間が生きていて、知識や経験を先人から受け継ぎながらも、自分でも発見し、決断していく。
このサイクルを繰り返しながらも、確かに残っていくものがある。彼がいま父親となり、次の世代に教えていること自体が、そっくりそのまま未来なのかなと思いますね。
島の自然と人をつなぐ映像。
大好きな島の、また帰りたくなる風景
今回、楽曲のほかにミュージックビデオも制作されました。どのような意図で制作されたのでしょうか?
映像としては、最初に音を録ろうと思った湧き水と、神津島のシンボルである天上山は必ず撮影したいと考えて島に向かいました。
島の入り組んだ路地を歩いていたとき、ふと「コマ撮り映像を作りたい」というアイディアが浮かんだんです。路地を歩き回りながら写真を何枚も撮っていたのですが、どう見ても不審者だったようで、何人かに声をかけられました(笑)。
結果的に、路地から海へと続くコマ撮りのシーンが、湧水と天上山、そして島で暮らす人たちの目線を自然につなぐ役割を果たしてくれたのではないかと思っています。
最後に、この記事を読んで神津島に興味を持った方へ、メッセージをお願いします。
神津島はバランスがいいので、とてもおすすめです。島のサイズも小さすぎず大きすぎず、人が暮らしている町のエリアと、天上山のような自然のエリアとの距離感もちょうどいい。気候もあたたかくて、綺麗なビーチもあります。
東京からも近すぎず遠すぎずなので、観光客も多すぎず、ゆったりしていてリラックスできるんですよね。あとは、釣りもすごくいいです(笑)。僕は大好きなので、また来たいと思ってます。
石松豊 / 取材執筆
1991年京都府生まれ。九州大学卒業後に上京。広告代理店と制作会社を経て、2022年に創業期から関わるGerbera Music Agencyでブランドソリューション事業部を立ち上げる。企業プレイリスト制作を中心に、キャスティング、楽曲制作など企業の音楽プロジェクト企画に多数関わる。個人では2018年よりプラネタリウムや重要文化財などでライブイベントを多数企画。2024年からは穏やかな音楽のある生活風景を紹介するWebメディア『Ucuuu』を運営中。